厳島神社~萩・津和野
広島県・山口県
2012年11月17日~19日 雨~晴れ
【メンバー】トラピクスツアー 妻 & 私
【1日目】
羽田空港(07:50)⇒(9:20)広島空港 → 宮島口 ~ 安芸の宮島 ~ 宮島口 == 火の山公園 == 関門人道トンネル/関門海峡 == 門司港レトロ地区 == 小倉(リーガロロイヤルホテル泊)
【2日目】
小倉 == 下関 == 角島 == 北長門(昼食)== 秋吉台(秋芳洞)== 萩武家屋敷(萩城)== 松陰神社・松下村塾 == 萩温泉(千春楽泊)
【3日目】
萩温泉 == 萩焼会館 == 津和野・殿町通り散策 == 尾道駅 ++++ 白市駅 ==== 広島空港(17:20)⇒(18:40)羽田空港
─── 1日目 ────
宮島に渡るフェリー船上からの厳島神社
紅葉の宮島で美味しい牡蠣が食べたいとの思いから妻とツアーに参加しました。
宮島(厳島神社)訪問は、高校の修学旅行で訪れて以来42年ぶりのことです。
ところが宮島に到着直後、高潮の影響で厳島神社の拝観が中止になり、初めて訪れた妻は大変なショックを受けたようです。本当に残念でした。しかし、外観を近くで見ることはできたので雰囲気だけは感じられたみたいでした。
もう一つのお楽しみの焼き牡蠣は、それぞれ3個入り500円をペロリとたいらげ、お代わりを頼んだら1個サービスで増えていて、妻もご満悦でした(^^♪
門司港を一望する火の山公園からは巌流島も確認できました。
夕食後の門司港レトロ散策は時間が短く、門司港駅や旧門司三井倶楽部の建物を見るにとどまりました。ツアーは時間が慌しいです。小倉リーガロロイヤルホテルは大浴場こそありませんでしたが、一流のホテルらしさが味わえました。
高潮で水没した厳島神社です
高潮のため、厳島神社への入場制限となって涙、涙、涙;
重要文化財の五重塔 1407年建立 高さ27.6m
紅葉が綺麗です 紅葉に合わせた服だね 小さくピース(古)
五重塔から厳島神社本殿を俯瞰
豊国神社(千畳閣) 1587年に豊臣秀吉が安国寺恵瓊に命じて建立
野生の鹿です 宮島では「神鹿」として神聖視されてきました
拝殿はすっかり水没してしまいました
拝観出口付近から雰囲気を味わう
厳島神社をバックに 西松原辺りから
大願寺の入口 後方は多宝塔
焼き牡蠣を食べてご満悦 3個入り500円 妻はお代わりしました
さすがに世界遺産 観光客が多いです
宮島口のフェリー乗り場です
火の山公園から門司港を見下ろします 右方向に巌流島があります
関門人道トンネルです 関門海峡を歩いて渡ります
関門人道トンネルは国道2号線になります
関門人道トンネル出口付近から関門海峡に架かる関門橋
門司港レトロの代表格「門司港駅」 現在保存修復工事中です
旧門司三井倶楽部 時間の都合で他は見学できませんでした
─── 2日目 ────
今日は、角島から秋吉台、秋芳洞と萩武家屋敷跡の散策とスケジュールがびっしりです。
小倉リーガロロイヤルホテルの美味しい朝食を堪能し、関門橋で下関に渡り、角島の灯台に登って眺めた波が左右からぶつかり合う様は、自然の力の雄大さを見る思いでした。評判がイマイチの北長門での昼食の「海鮮てんこ盛り丼」にも何気に満足し、秋吉台へ向かいました。(てんこ盛りではないので私たちはテンを取って「海鮮小盛丼」と名付けました)
秋吉台のカルスト台地は、小学校の教科書にも載っていた有名なところなので、一生に一度は見ておきたいと思っていた場所です。それは、ここが大昔にサンゴ礁であったとは思えないような高地にありました。想像以上に広大な地域で時間を掛けて歩いてみたい衝動に駆られました。再び来れる日はあるのでしょうか?妻が怖くて見学を躊躇していた秋芳洞の大きさには、ただただ驚かされました。続いての見学場所の萩武家屋敷では、大失態を演じました。集合時刻を15分も間違えて添乗員や乗客の皆さんに迷惑を掛けてしまったのです。それでも皆さんの暖かい言葉に救われた思いでした。かなり落ち込みましたけど…
帰宅後に分かったことですが、宿泊先の萩温泉「千春楽」は、日本百名城の一つ「萩城」の近くにあり、数百メートル先に天守台や石垣があったのでした。下調べが悪く、百名城であることすら知らないで観光していたのでした(^^;
関門橋で本州へ渡ります
角島灯台から日本海を眺めます
角島灯台です 海の難所の警戒にあたってきました
灯台守の宿舎であった退息所を復元 現在は資料館です
久しぶりに海を眺めたような気がしました。
灯台からの眺めは素晴らしく、いつまでも留まりたい気持ちになりました。山も良いけど、海もいいもんですね~(^^♪
北長門の海鮮店の「海鮮点小盛丼」です でも味は良かったです
秋吉台にて 石灰岩がニョキニョキと筍のように出ています
秋芳洞の内部です 千枚皿の前にて
秋芳洞の出口にて 紅葉が綺麗でした
萩武家屋敷跡
萩武家屋敷跡
高杉晋作像
復元された萩城の外堀
復元された北の総門 大手三つの門の一つ
旧益田家物見矢倉 益田家は萩藩の家老
旧繁沢家長屋門 繁沢家は阿川毛利家の分家
指月山(しづきやま)山麓に梯郭式平城の萩城があった
指月山頂にも詰丸要害門があった
問田益田氏旧宅土塀 この堀内地区は萩城三の丸である
萩博物館に復元された三の丸隅櫓(旧大野毛利家屋敷)
─── 3日目 ────
3日目は萩焼会館に立ち寄り、津和野の殿町通りの散策です。
津和野は、山陰地方と山口を結ぶ交通の要所になっていたため、1282年吉見頼行によって津和野での築城が開始され、約30年の歳月を掛けて「津和野城」を完成させました。この津和野城も日本百名城ですが、ツアーゆえに当然見学する時間などありませんでした。また来いということですね。
城下町として繁栄した津和野の殿町通りは、およそ200mの区域がそれにあたり、当時は一般庶民の立ち入りは認められていなかったそうです。差別が厳しかったのですね。通りの両脇には水路が設置され、肥満体の錦鯉が泳いでいました。個人が放流した鯉が大きくなったようです。
津和野から尾道までの車中からの景色で気付いたのですが、この地方では屋根瓦の色をオレンジ色に統一していることです。一部にいぶし銀の瓦もありましたが、壊れそうな物置小屋にも真新しいオレンジ色の屋根瓦が乗っていたのには驚きました。地域をあげて活性化しようとする意気込みが感じられました。
尾道では、地域住民に顰蹙を買っている「尾道城」を遠くから眺めただけで、帰路の広島空港へ向かい2泊3日の旅は終わりました。
津和野駅前です
津和野殿町通りへ向かいます
殿町通りの水路には肥満の錦鯉がたくさん泳いでいます
殿町通りは僅か200m余りの治外法権区域であったようです
藩校養老館 西周、森鴎外などを輩出しました
伝統文芸「鷺舞」の銅像です 毎年7月の祇園祭りに奉納されます
稲成神社の鳥居 一般的には「稲荷」と書くが「成る」の字を充てる
殿町通りは真新しい石畳が敷かれています
津和野町役場津和野庁舎
カトリック教会
オレンジ色の屋根の町並み
尾道駅と地元に顰蹙を買っている尾道城? 元々お城ではありません
山陽本線の車両 最近電車の写真が面白くなってきました
山陽本線車内からの瀬戸内海は、予想以上に綺麗でした