因島水軍城
広 島 県
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
広島県尾道市因島中庄町3228-2
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1983年(昭和58年)
金蓮寺住職、奈良本辰也(監修)
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二の丸(展示室)、隅櫓(資料館)
2013年12月8日
因島水軍城は、因島村上氏が残した武具や遺品、古文書など歴史資料を展示している資料館です。
水軍のふるさと因島にふさわしいものをと歴史家奈良本辰也氏監修により昭和58年(1983年)12月1日に建設されました。
二の丸(66㎡)は展示室、隅櫓(124㎡)は水軍資料館として一般に公開されています。
水軍資料館には、因島村上氏6代当主村上新蔵人吉充が中国から持ち帰った釈迦の涅槃図や小早川隆景から拝領された甲冑など水軍ゆかりの品々が展示されています。
また、城のふもとにある「金蓮寺(こんれんじ)」には村上水軍の墓があります。
しまなみ海道で因島へ向かう
【瀬戸内海の水軍】
村上水軍は、南北朝時代から室町、戦国時代を通じて活躍しました。海上の航路にのぞむ島々や沿海の要衝に砦を築き、「海賊衆」と呼ばれ、中世において瀬戸内海上に一つの大きな勢力を誇示するようになりました。
彼らのたくましい生活に対する意欲と、独立自尊の精神、自由を求める気概、荒波を乗り越えて進む勇気は、日本の歴史を動かす力さえ持っていました。
駐車場から登り坂です
【因島村上家】
因島村上家は、中世瀬戸内海の中心にあって11万4千5百石を領有した海の大名であり数百年にわたって瀬戸内海の制海を握り、幾多の合戦に参加した他、遣明船の使節達の警備などを行っていました。
特に因島村上氏6代当主村上新蔵人吉充は、弘治元年(1555)、毛利氏と陶氏が戦った厳島合戦で毛利氏に加勢し勝利をもたらしました。また、天正四年(1576)7月の木津川口海戦では、毛利警護船団の一翼を担い、織田信長率いる織田水軍を壊滅させ、毛利氏の勝利に大きく貢献しました。
植木で「水軍」の文字をかたどっています
門をくぐって行きます
お年寄りには厳しい登りです
本丸といわれる建物
隅櫓から本丸、二の丸を見下ろす
展示してあった兜
村上水軍の旗の向こうに金蓮寺と墓が望める