三 原 城
広 島 県
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
広島県三原市
浮城、玉壷城
梯郭式平城
1567年(永禄10年)
小早川隆景
福島氏
石垣、堀
国の史跡
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2015年6月7日
備後國三原城絵図
三原城を築城した小早川隆景は、戦国随一の智将として知られ、城下づくりにもその知恵者ぶりが大いに反映されています。
まず、三方を山に囲まれ、南に瀬戸内海が位置する沼田川河口の大島、小島を石垣で結んで城を築き、外部からの侵入を防ぐ措置を図りました。
次に高山城内をはじめ周辺にあった多くの寺を三原城周辺に移し(引寺)、各寺に外砦の役割を持たせました。
また、引寺された各寺はそれぞれ宗派が異なっており、一揆などの反乱を抑える役割も持たせていたのです。
さらに、城の山側にはT字形、かぎ形の迷路や小路をつくり、湧原(和久原)川を境にした西側の館町(武家町)と東町(町家)に段差をつくる(館町を一段高くし、城の水害を防ぐ)など城下町の防衛に総力が注がれています。このことから三原の町は、築城以来一度も兵火を受けず明治維新を迎えることができました。
天守台と堀 後方には櫻山がそびえます
三原城の堅固さには明治政府も非常に関心を示し、1876年には、当時の海軍省が海軍鎮守府の候補地として三原城を買い上げたほどで、幻の軍都だったのです。(海軍鎮守府は1883年に呉に設置される)
1894年の山陽鉄道開通を境に、三原城は壊され、都市化が進んだ影響で「三原に城があったこと」がわからなくなっています。
しかしながら、JR三原駅北隣にある三原城天守台を中心とした山側にしの面影をとどめた歴史遺産がたくさん残っています。
天守台の高石垣
日本一の広さを誇る天守台 広島城の天守閣なら6つも入ります
天守台から堀を見下ろします
広々とした天守台 三角の山は櫻山(城址)
内堀の名残
船入櫓跡への入口
船入櫓跡の石垣
船入櫓の石垣は自然の岩礁の上に積んでいる
本丸中門跡