白 鳥 城

富 山 県


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日


富山県富山市吉作
御服山城
山城
不詳(1543年前後か?)

前田利家?
空堀、土塁


2016年5月19日

呉羽丘陵の最高峰である城山にあり、眼下に富山平野を一望できます。
寿永二年(1183)に源義仲の武将今井四朗兼平が陣を張ったとするのが最初の記録です。
その後数々の古文献にこの城のことが見られますが、豊臣秀吉が富山城の佐々成政を攻めたときに陣を構えたことがよく知られています。
現在、秀吉本営の白鳥城の遺構はほとんど失われていますが、昭和56年からの発掘調査によれば、本丸は空堀で囲まれ、周囲からはいくつかの土塁跡や敷石跡が発見されています。

白鳥城跡の平面図

出土の遺物には、土師質土器の越前焼すり鉢、中国製の染付碗などがあります。
分析の結果、16世紀後半のもので、秀吉の時代と一致し、その多くが富山県外のものとされ、主として東海から移動してきた兵が携えてきたと考えられます。
秀吉軍と佐々成政の伝承が富山に根強く語り継がれているのも、それだけ印象に残る出来事が多々あったからだと思われます。

本丸へ向けて階段を上っていきます

東出丸跡

三の丸跡

空堀跡

二の丸跡

本丸への階段を上ります

本丸

本丸下郭跡

空堀跡

東の丸下の駐車場から富山市街

展望台から富山市街を望む
肉眼ではうっすらと立山連峰が見えました