小丸山城

石 川 県


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日


石川県七尾市

平山城
1582年
前田利家
稲井氏
曲輪、石垣、空堀
なし

2016年5月20日

天正9年(1581)8月、織田信長から能登一国を与えられた前田利家は、直ちにこの小丸山城を築きますが、戦陣に明け暮れる毎日なので、能登の領国支配は兄の前田安勝を城代とし、所口(七尾)町奉行に三輪吉宗・大井久兵衛を当たらせました。この時、前田一族を支えたのは、鎌倉時代から輪島・穴水地域の大屋庄地頭、室町時代には畠山家臣として能登の住民になじみのあった長連龍(ちょうつらたつ)でした。
本能寺の変後の7月24日、能登挽回を目指して石動山へ入った温井景隆・三宅長盛との合戦に利家は、金沢城主佐久間盛政と長連龍の援軍を得て一日で勝利しました。戦後、利家は連龍と血判起請文をかわし友誼を深めました。

前田利家公と松子の像

天正11年(1583)4月、金沢城主となった利家は、安勝を金沢城代とするとともに、小丸山城主としました。安勝は城代に長連龍を選びました。
文禄二年(1593)9月住四位下侍従に任ぜらえた利家の次男利政は、能登の一部を領したので能登侍従といわれました。
この利政は慶長二年(1597)小丸山城に住み、同4年3月利家養老封の内、羽咋・鹿島郡1万5千石を分与され城主となりました。
翌5年9月の関ヶ原の戦に参戦しなかったので10月に封を解かれ、京都に卜居(ぼっきょ)し宗西と称しました。

本丸へ上っていきます

小丸山城址の碑

本丸の桜の木は巨大化しています

広い本丸

天性丸との堀切に架かる三更橋(さんこうばし)

天性丸の曲輪

この森が本丸です