南紀めぐり

三重県・和歌山県・奈良県

2016年11月21日~23日 晴れ

【メンバー】阪急トラピクスツアー 妻 & 私

【11月21日】二見興玉神社~伊勢神宮(外宮・内宮)~おかげ横丁
【11月22日】花窟神社~瀞峡~熊野那智大社
【11月23日】熊野本宮大社~谷瀬の吊橋~高野山奥の院~蓮華定院

二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)

二見興玉神社は、御祭神に猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)を祀り、縁結び・夫婦円満・交通安全などにご利益のある神社。
正面に見える夫婦岩は、沖合約700m先に鎮まる猿田彦大神縁りの霊石「興玉神石」と、日の大神を遙拝するための鳥居とみなされています。古くより伊勢神宮参拝の前に二見浦の海水で心身を清める禊をする「浜参宮」という習わしがあり、現在でもまず二見興玉神社に参拝し、お祓いを受けてから伊勢神宮へ向かう参拝者も多いです。
境内には、猿田彦大神のお使いとされる二見蛙(無事にかえる、貸したものがかえる)が多数奉納されています。

二見興玉神社の拝殿と夫婦岩

二見興玉神社入口の鳥居です

訪れたのは何年ぶりでしょうか?夫婦岩

豊受大神宮(外宮)

豊受大神宮(外宮)は、食物・穀物を司る神である豊受大御神がお祀りされています。内宮創建から500年後に伊勢の山田原にご鎮座された『衣食住をはじめ、あらゆる産業の守り神』です。
御正殿は、「唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)」という日本古来の建築様式です。屋根は萱葺きで、9本の鰹木(かつおぎ)がのせられ、先端の千木(ちぎ)は内宮の御正殿とは異なり垂直に切られています。唯一神明造は檜の素木を用いて高床式の穀倉の形式から発展したものといわれ、現在まで脈々と受け継がれています。

御正殿(ごしょうでん)です 鳥居の先は撮影禁止です

表参道火除橋は左側通行です

第一鳥居をくぐります

外宮では古殿地を見ることができます

御正殿にお参りします

何かありそうに感じる御正殿です

風宮は級長津彦命と級長戸辺命をお祀りする別宮です

多賀の宮です 外宮の中で最も格式が高い別宮です

土宮は大土御祖神をお祀りする別宮です

パワースポットといわれる「三つ石」です

勾玉池と舞楽の舞台です

皇大神宮(内宮)

皇大神宮(内宮)は、皇室の御祖先の神である天照大御神がお祀りされています。垂仁天皇の26年(紀元前4年)に、神路山・島路山を源とする五十鈴川の川上にご鎮座された『日本人の総氏神』です。
内宮の御正殿も外宮と同じ「唯一神明造」(ゆいいつしんめいづくり)という日本古来の建築様式です。
屋根は萱葺きで、10本の鰹木(かつおぎ)がのせられ、先端が水平に切られた4本の千木(ちぎ)が高くそびえています。

外宮とは違い大勢の観光客です

宇治橋を渡ります(右側通行です)

五十鈴川

参道には、昔の民家の位置に線が引かれています

たくさんのお酒が奉納されるようです

大正天皇御手植松

火除橋を渡ります この先に第一鳥居があります

五十鈴川御手洗場

瀧祭神 五十鈴川を守護する水の神

御正殿に向かいます

神札授与所

この奥左手が古殿地です 入ることができません

御正殿です 階段から撮影禁止区域です

神宮杉です みんなが触るので黒光りしていました

御稲御倉(みしねのみくら)です 稲の保管庫です

外幣殿(げへいでん)です 古神宝類を納めるそうです

荒祭宮です 内宮の別宮の中で最も格式の高い別宮です

由貴御倉です 古くは御饌祭のお供えものなどを納めた

御酒殿です かつては新酒を醸造していました

神楽殿です

御饌殿(みけでん)は天照大御神にお食事をお供えします

紅葉が始まったところでした

緑に囲まれた内宮の池 名前はわかりません

宇治橋の全景です

10月桜でしょうか? 紅葉との競演です

おかげ横丁は伊勢神宮へのおかげ参りブームが起こった江戸から明治期の伊勢路の建築物を移築などで再現、三重県や伊勢地方の魅力を凝縮しています。 老舗の味から名産品、歴史や風習、人情まで一度に体感でき、食べ歩きやショッピングも充実しています。
特に赤福餅があまりにも有名な「赤福本店」は、大勢のお客様で賑わっていました。私たちは、甘いものには目もくれず、牡蠣フライとビールをいただき、お土産に地酒を求めました。
五十鈴川の畔には、昔ながらの町家の家並みが残り、風情が感じられました。

おはらい町通りの街並みです

五十鈴川の対岸から赤福本店を眺めます(左端)

昔の風景を残す五十鈴川沿岸です

花の窟神社(はなのいわやじんじゃ)

花の窟は、神々の母である伊弉冊尊(イザナミノミコト)が火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産み、灼かれて亡くなった後に葬られた御陵です。平成16年7月に花の窟を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されました。
花窟神社は日本書紀にも記されている日本最古の神社といわれており、古来からの聖地として今に続く信仰はあつく、全国から多くの参拝者が訪れます。
花の窟では年2回、例大祭を行います。神々に舞を奉納し、日本一長いともいわれております約170メートルの大綱を岩窟上45メートル程の高さの御神体から境内南隅の松の御神木にわたします。この「御綱掛け神事」は、太古の昔から行われており「三重県無形文化指定」されています。

神社の入口ですが鳥居は先にあります

手清所です



御神体からの「お綱」が繋がっています

伊弉冊尊の御神体である岩です



「お綱」の上部には、「三流の幡(みながれのはた)」と呼ばれる「旗綱」が下がっています

瀞峡(どろきょう)

瀞峡は、吉野熊野国立公園内の奈良県・三重県・和歌山県にまたがる国特別名勝の大峡谷です。
その幽水美は古くから世に知られ、太古の自然のままの大峡谷に圧倒されてしまいます。
瀞峡は北山川の上流から奥瀞・下瀞に分かれます。特に下瀞は巨岩・奇石が並び荘厳で美しく、親しみをこめて「瀞八丁(どろはっちょう)」と呼ばれています。
荒々しく切り立つ断崖と巨岩、静かな深い瀞の水は神秘的なコバルトブルーに澄みわたっています。

小川口乗船場からウォータージェット船に乗船します

甲羅干しをしている亀の姿に似ている亀岩です

切り立った岩と水面のコントラストが綺麗です

三県境に建つ瀞ホテルです

三重県と奈良県を結んで架かる山彦橋です

田戸発着場です

瀞ホテルのたたずまいです

三県境から下瀞を望みます

瀞峡めぐりの里熊野川の志古発着場の新宮川です

熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)

熊野那智大社は、那智山青岸渡寺とともに熊野信仰の中心地として栄華を極め、古来より多くの人々の信仰を集めました。今なお多くの参詣者が訪れ、熊野速玉大社・熊野本宮大社とともに熊野三山の一つです。
467段におよぶ石段の上に建つ6棟からなる社殿は、標高約330mに位置し、夫須美神(ふすみのかみ)を御主神としてそれぞれに神様をお祀りしています。 伊弉冉尊(いざなみのみこと)とも言われる夫須美神は、万物の生成・育成を司るとされ、農林・水産・漁業の守護神、縁結びの神様また、諸願成就の神としても崇められています。

左手は宝物殿で右手が拝殿です

八咫烏の像と「なでしこジャパン」選手の手形があります

熊野古道の大門坂入口です

熊野那智大社へ向かう途中で少し熊野古道を体験します

鳥居をくぐり登っていきます

熊野古道の雰囲気が出ています



古道の両側には巨杉が

歩けたのはここまででした 残念です



ほんの少し熊野古道を体験し、バスで那智山駐車場まで登ります。駐車場から熊野本宮大社までは階段です

大社が近づいてきました

熊野那智大社の最後の鳥居が見えてきました

最後の鳥居です お疲れ様でした

拝殿です 屋根の修理をしていました

記念撮影です

天然記念物 那智の樟です

熊野那智大社 本殿です

八咫烏の化身といわれる烏石です

隣接の西国三十三ヶ所第一番札所 那智山青岸渡寺です

展望台から那智の滝と那智山青岸渡寺三重塔が望めます


那智山青岸渡寺の山門を下り、熊野那智大社を後に、バスにて那智の滝に向かいます。
歩いて向かいたかったのですが、ツアーなので仕方がないですね。

那智大社の別宮である飛龍神社へ向かいます

飛龍神社のご神体が「一の滝(那智の滝)」です


展望台まで登りました
お腹の膨らみが気になります(^^;


那智の滝は、日本三大名瀑の一つです。
落差133m、銚子口13m、滝壺の深さ10mの落差日本一の名瀑で、熊野の山塊、その奥方から流れ落ちる姿は圧巻です

ホテル浦島の正面玄関で撮影していただきました

2日目に宿泊したホテル浦島の室内から

熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)

全国の「熊野神社」の総本宮にあたる熊野三山。三山の中でもとりわけ古式ゆかしい雰囲気を漂わせるのが、聖地熊野本宮大社です。本殿へと続く158段の石段の両脇には幟がなびき、生い茂る杉木立が悠久の歴史を感じさせます。
総門をくぐると檜皮葺の立派な社殿が姿をあらわします。
向かって左手の社殿が夫須美大神(ふすみのおおかみ)・速玉大神(はやたまのおおかみ)の両神。中央は主神の家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)。そして右手は天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られており、交通安全、大漁満足、家庭円満、夫婦和合、長寿の神として人々を迎え入れてきました。

熊野本宮大社の第一鳥居です

参道の両脇には幟がなびいています

158段の階段を上り終わると総門が見えてきます

熊野本宮大社の総門です

主神の家津美御子大神(左)と天照大神の御社殿です

左側は夫須美大神と速玉大神の御社殿です

本宮大社拝殿です 社殿との違いは何でしょうか?

参道に並行して現存する熊野古道を歩きました



伊邪那美命の荒御魂がお祀りされている産田社です

かつて熊野本宮大社があった大斎原の大鳥居です



熊野本宮大社はかつて、熊野川・音無川・岩田川の合流点の中洲にあり、江戸時代まで人々は歩いて川を渡り、着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりでした。ところが明治22年(1889年)8月の大水害で本宮大社の社殿の多くが流出したため、水害を免れた4社を現在の熊野本宮大社がある場所に遷座しました。


熊野本宮大社のお参りは、
①熊野本宮大社→ ②彦田社→ ③大斎原
の順で行うのだそうです。
また、本宮大社の御社殿の参拝にも順序があります。
①証誠殿(本宮・第三殿) 家津美御子大神(素戔嗚尊)
②中御前(結宮・第二殿) 速玉大神
③西御前(結宮・第一殿) 夫須美大神
④東御前(若宮・第四殿) 天照大神
⑤満山社 結びの神(八百萬の神)

谷瀬の吊橋(たにせのつりはし)

谷瀬の吊橋は、日本有数の長さを誇る鉄線のつり橋です。
上野地と谷瀬を結ぶこの巨大なつり橋は長さ297メートル高さ54メートル、そびえ立つ深い山々に囲まれ、眼下には清澄な十津川(熊野川)が流れまさに絶景、最高のロケーション。
歩くたびにゆらゆらと揺れるつり橋はスリル満点!まるで空中を散歩している気分。
十津川村NO.1の観光スポットとなっています。

昭和29年(1954年)戦後の復興期のことです。谷瀬の人々は、川に丸木橋を架けて行き来していましたが、洪水のたびに流されていました。そこで谷瀬集落の人々は1戸当たり20~30万円という、大金を出し合い当時としては思い切った800万円もの大つり橋を村の協力を得て完成させました。
当時の教員の初任給が7,800円、米10キロが765円の時代ですから、その大きさがわかります。

高野山奥の院(こうやさんおくのいん)

表参道入り口、一の橋から弘法大師御廟まで通じる約2㌔の参道両側には、何百年も経た老杉が高くそびえ、その老杉のもとには、少しでもお大師様の近くで供養されたいと願う数十万基を超える各時代の、あらゆる人々の供養塔が建ち並び、高野山が日本一の霊場であることを表しています。
御廟橋から先は、撮影禁止エリアとなるため、弘法大師御廟など主要な建造物等は記録することはできませんでした。
残念ですけれど、聖地ですから仕方がないですね。

中の橋入り口です 正式には一の橋から参拝します

まっすぐ伸びた巨杉が林立しています


御廟橋から先に見える建物は「灯篭堂」といって、空海の甥が建立し、藤原道長によって現在の規模になったようです。
現在の建物は1965年の築造です。
この灯篭堂の裏手にあるのが「弘法大師御廟」で、中には入れませんが、その前でお参りしたほうが良いかと思います。

この御廟橋から撮影禁止区域に入ります


手水社も凝っています

蓮華定院(れんげじょういん)

高野山にある蓮華定院は、真田昌幸と真田幸村が最初に高野山に幽閉された際に蟄居した真田家ゆかりの寺院です。
蓮華定院は、室町時代の1523年に、長野の小県・佐久地方の豪族と宿坊契約が結ばれたという記録があります。
その縁で、海野氏の一族でもある真田昌幸は、1600年の関ヶ原の戦いの後、次男・真田幸村(信繁)と共に高野山に蟄居した際に、この蓮華定院に滞在しました。
ちなみに、当時の蓮華定院は女人禁制であったため、伝承では大谷吉継の娘・竹林院など妻子は九度山に置いたといわれており、のちに真田昌幸と真田幸村も許可を得て、九度山に降りることになったとされます。

蓮華定院の門です 提灯には六文銭が描かれています

前庭は石庭となっています

日本庭園の中庭は外国人に人気だそうです

金物にも六文銭が刻まれています

真田昌幸・幸村父子が滞在した「上段の間」です