北ノ庄城
福 井 県
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
福井県福井市
平城
1575年(天正3年)
柴田勝家
結城秀康
石垣
なし
2017年4月13日
朝倉氏の滅亡後、越前を支配していた一向一揆を平定した功績により、越前国北ノ庄を与えられた柴田勝家が、自らの縄張りによって築城を開始しました。天正11(1583)年の賤ケ岳の戦いに勝家が破れ、妻・市と共に自害すると城にも火が放たれ、建造物のほぼ全てが焼失しますが、その後も青木一矩が北ノ庄城に封じられたという記録もあります。1601年から柴田氏の北ノ庄城の跡地に、新たに結城氏によって北ノ庄城(福井城)が築城されたため、現在では柴田氏の遺構を直接見ることはできません。平成5(1993)年からの発掘調査の結果、本丸の推定位置である柴田神社の地下から石垣跡と思われる石が出土しましたが、正確な位置を特定されるまでには至っていません。
堀の石垣と思われます。
柴田勝家の銅像です。
柴田神社の鳥居をくぐります。
絶世の美女、お市の方の像です。
お市の子供、三姉妹です。
柴田神社の社務所です。
発掘された石が見られます。
柴田神社の社殿です。
堀の様子を復元しています。