諏訪大社上社本宮
長 野 県
所 在 地
正式な名称
主 祭 神
社 格 等
拝殿の構造
拝殿の再建
指定文化財
例 祭
訪 問 日
長野県諏訪市中洲宮山1
信濃國一之宮 諏訪大社 上社本宮
建御名方神 八坂刀売神
式内社(名神大) 信濃国一宮
旧宮幣大社 別表神社
諏訪造り
1617年(元和三年)
国の重要文化財(社殿6棟)
御柱祭 御頭祭 御船祭 など
2017年10月4日
諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖の周辺に4箇所の境内地をもつ神社です。
我国最古の神社の一つであり、信濃國の国造りをなされたのち、日本国土の守護神としてこの地にお鎮りされ、信濃國一之宮として皇室武門および一般の信仰が厚く、全国一万有余の諏訪神社の総本社です。
幣拝殿と片拝殿のみで本殿を持たない、諏訪造りという独持の様式です。
徳川家康が造営寄進したと言う四脚門など貴重な建造物が数多く残っています。六棟は国の重要文化財に指定。
JR中央線上諏訪駅から東南へ六キロ、守屋山の山麓で中部地方唯一と言われる原生林に抱かれる如くに鎮座しています。
鳥居を潜り入口御門へ向かいます
諏訪大社は社殿の四隅におんばしらと呼ぶ大木が建ち幣拝殿や左右片拝殿が横に並び、本殿を欠く等社殿の配置にも独特の形を備えています。
中でも本宮は諏訪造りの代表的なもので、建造物も四社の中で一番多く残っています。また神体山を拝するという大きな特徴を持ち、祭祀研究の上からも注目されています。
境内のほぼ真中に東宝殿、西宝殿と言う二棟の茅葺の建物があります。本宮で最も大切な御社殿で、寅年と申年毎に交互に建替がなされ遷座祭が行われます。軒からはどんなに干天の日でも最低三粒は水滴が落ちるといわれ、七不思議の一つに挙げられ、諏訪大神が水の守護神として広く崇敬される根元にもなっています。
本宮の昔の建物は極彩色が施されておりましたが、天正十年(1582)に織田信長の兵火のため、山中に逃れた神輿の他はすべて焼失しました。この時まず仮殿が作られ順次再建され社殿は元和三年(1617)に完成しました。
本宮三之御柱遥拝所
その後約二百年を経て諏訪藩主に依り社殿の改が計画され、立川和四郎二代目富昌が上社棟梁と共に事に当り、天保二年から九年(1838)迄八年の歳月を要し現在の社殿が落成し、立川流の代表的建築物と言われています。なお旧殿の拝殿は嘉永二年(1849)に郡内の富士見町乙事の諏訪神社へ移築され、桃山時代の代表的建造物として重要文化財に指定 されています。
本宮最古の建物は四脚門で、慶長十三年(1608)に徳川家康が家臣大久保石見守長安に命じ、国家の安泰を祈願して造営寄進したもので、別名を勅使門とも言います。
神楽殿は文政十年(1827)の建立で、色々な神楽が連日行なわれていたようですが、残念なことにその神楽は現在絶えています。中にある大太鼓は江戸時代のもので、唯今では大晦日にのみ打たれます。
入口御門(重要文化財)の右には本宮二之御柱
額堂(絵馬堂)(重要文化財の附指定)
布橋(重要文化財)
四柱門(重要文化財)
正面の大鳥居
境内下段に本宮一之御柱
雷電為右衛門の像
境内上段
拝所の奥に拝殿(重要文化財)
勅願殿(祈祷所)
本宮四之御柱遥拝所
神楽殿(重要文化財)
土俵
布橋の外観
五間廊(重要文化財)
勅使殿(重要文化財)
神馬舎(重要文化財)
【おまけ】 2017年10月3日~4日 王ケ頭ホテル泊~霧ヶ峰
霧の中の王ケ頭ホテル玄関前
ホテル客室内部
客室入口
ベッドコーナー
リビングにはコタツがありました
トイレ
洗面脱衣室
浴室
ウェルカムフルーツ
僅かに霧が晴れました
松本の街を指さしています
一瞬、松本の街が見えました
霧ヶ峰に立ち寄り散歩しました
ノコンギクが咲いていました
関東の富士見100景の記念碑
アザミ
霧鐘塔 鐘を鳴りして場所を知らせたようです
ヤマハハコ