高 崎 城

群 馬 県


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日


群馬県高崎市高松町
和田城
輪郭悌郭複合式平城
1597年
井伊直政
安藤重信
乾櫓・東門(移築)、土塁、水堀
群馬県重要文化財(乾櫓)

2018年5月1日

高崎は、王朝時代赤坂の荘と称し、東山道に属していましたが、この地方の中心地としての役割はありませんでした。鎌倉時代に和田氏が城を築いて住むようになってようやく地方の中心的存在となり、天正18年、小田原の北条氏と運命をともにするまで、和田城は三百数十年の歴史を誇りました。
慶長三年、井伊直政が箕輪城12万石から移封され城主となり和田の地名を高崎と改めました。
高崎城は、郭内だけでも五万坪を超える広大な城郭でした。
現在は、三の丸外囲の土居と堀、乾櫓、東門が残っているにとどまります。

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この石垣は復元されたものでしょうか?

現在の市街図はココ 本丸は前橋地方裁判所の周辺です

東側からの石垣

通用門のような石積み

乾櫓

乾櫓と東門

東門を内側から

乾櫓を南側から

現存する土塁

東側の水堀