月讀神社

長 崎 県


所 在 地
主 祭 神
社 格 等
創 建 年


例   祭
訪 問 日


長崎県壱岐市芦辺町国分東触
月夜見尊 月弓尊 月読尊
式内大社(名神大)論社・旧無格社
不明: 西暦487年月読神社に天月神命
を祭り、高御祖神社には天月神命の
祖高産霊尊を祭るとあります
10月23日
2018年6月14日

月読尊の御事については、古事記の上巻に伊邪那岐命(イザナミノミコト)・伊邪那美命(イザナミノミコト)の二柱の御親神が、天照大御神(アマテラスオオミカミ)をお生みになられ、次に月読尊(ツキヨミノミコト)をお生みになられたと表されています。
また、日本書紀には「すでに大八州国(日本)及び山川草木を生むことが出来た、何ぞ天下(あめのした)の主君(きみたるもの)を生まざらむ」といわれて、是に天照大御神をお生みになられ、次に月読尊をお生みになられたと記されてあり。
また一書には日に並ぶともあります。即ち天照大御神及び月弓尊は並に是、質性明麗し。故、天地に照し臨ましむ。
天照大御神のご神徳は「その光華明彩(ひかりうるわしいこと)六合に照り徹るほどでございます」と太陽にたとえて表されておりますので、月読尊の御威徳は、それに次ぐものとして、月になぞらえておたたえしたものと排されます。

月読神社の急な階段を上ります

太陽、月、大地、自然と共に神は存在されておられると言う事(アミニズム)を壱岐の祖先は熟知され月が万物(すべて)に利益を与えるごとく邪心(よこしまなこころ)が無く玄徳(最も奥深い徳)を極められていたようです。
壱岐の県主の先祖「忍見宿祢(オシミノスクネ)」が西暦487年月読神社を分霊して壱岐から京都に祭りに行かれた。
忍見宿祢により、神道が中央に根付く事になったとされています。つまり、壱岐島が神道の発祥の地といわれております。
京都、洛西、松尾大社の横に月読神社はあり。伊勢神宮の内宮に月読宮、また外宮に月読神社があります。壱岐島の月読神社が全国の月読社の「元宮」とされております。

平成八年十月 壱岐「島の科学」研究会 の案内看板より

月読神社は、全ての願い事が叶うといわれています

本殿の傍らにはミコシがありました

二つの祠の中に月延石(安産石)があるといわれます