忍 城
埼 玉 県
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
埼玉県行田市本丸
浮き城、亀城
平城
不詳(15世紀半ば)
成田氏
成田氏、松平氏
土塁、堀、移築門
埼玉県指定遺跡
櫓、模擬門
2019年3月26日
忍城は文明11年(1479)閏11月付の古河公方足利成氏書状で初めて歴史の舞台に登場します。築城された年は確定できませんが、関東地方で戦国時代の争乱が始まった15世紀半ばに成田氏によって築造されたと考えられています。
永正6年(1509)に忍城の成田顕泰邸を訪ねた連歌師宗長は、城の様子を「水郷他、館のめぐり四方沼水幾重ともなく蘆の霜かれ、二十余町四方へかけて、水鳥おほく見えわたるさまなるべし・・・」と記しています。
この記述のとおり忍城の築かれた地は、北の利根川、南の荒川の挟まれた沖積地で、荒川の伏流水が湧き出る低湿地でした。忍城は、沼地の中の自然堤防や微高地といった自然の要害を利用した守りやすく攻めにくい城でした。
駐車場から忍城内に入ります
本丸西側を囲む土塁です
門の基礎の石でしょうか?
進修館の表門といわれる門を移築しました
伝進修館表門を潜ります
本丸に入りました
三重櫓の方向へ進みます
本丸内の広場です
本丸から二の丸方面を見ます
御三重櫓です
東門の内部
【御三重櫓】
天守の名にふさわしい白亜の三重櫓でしたが、老中職にあったので江戸城天守消失のままを憚り、三重櫓と名付けた。
松平侯時代は、12,205冊の所蔵庫であったそうです。
東門から外部へ出てみます
東門を出ました
東門からは木橋が架けられていました
堀を挟んで御三階櫓を望みます
堀を回り込んで土塁の進修館表門方面へ
左側は二の丸で、現在は忍中学校の敷地です
進修館表門前に戻りました
東門に戻り掘沿いを歩きます
鐘楼が見えます
土塁と堀です
向いに 諏訪神社が鎮座しています
本丸内に戻ります 鐘楼です
鐘楼を間近に見上げます
鐘楼の傍に湧き水がありましたが、本物?
【忍の時鐘楼跡】
高さ151糎、外径79.5糎の鐘は享保2年(1717)桑名城主松平忠雅侯移封が再鋳、文政6年(1823)忠堯侯移封と共に海路運ばれ、二の丸東隅の櫓の上から時鐘として8粁四方に響いたようです。
本丸跡は、駐車場になっています
忍城櫓の石垣に使用された石です