宮 尾 城
広 島 県
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
広島県廿日市市宮島町
宮尾ノ城
平山城
1555年(天文24年)5月
不明
毛利氏、己斐直之
曲輪、石垣、堀切
「厳島」として国の特別史跡
なし
2019年5月21日
厳島北西にある要害山と呼ばれる標高30メートルの丘を中心に築かれた連郭式平山城です。
現在と違い、当時は城北部の山麓まで海が迫っており、三方が海に面し、水軍の運用も可能でした。そのため、援軍として熊谷信直を送り込むことができました。
城自体は決戦を前に急造された陣城のような城とせれていますが、崩れやすい地盤を固めるために石垣も使用されています。
また、築城にも人夫1000人を使って、1か月程度はかかっており、戦時急造の雑な城ではなかったと推測されます。
【wikipediaより】
鹿のフンが転がる階段を登っていきます
僅かで東屋が見えてきます
東屋が建つ宮尾城跡(要害山)です
山頂から五重塔と豊国神社が望めます
二の丸には今伊勢神社が祀られています
西曲輪との堀切のようです
仁王門跡です
石垣の名残でしょうか?
仁王門から昇り返したところです 曲輪かもしれません?