滝 山 城

東 京 都


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日


東京都八王子市丹木町

連郭式山城
1521年(天永元年)
大石定重
北条氏照
土塁、堀、井戸、土橋、虎口
国の史跡

2019年7月10日

滝山城が築かれた加住丘陵は、東西に長く、北は多摩川に浸食された急峻な断崖、南は谷戸が入り組んだ複雑な地形になっています。こうした地形を利用した滝山城は「二の丸の集中防御」です。二の丸は3つの尾根が集中していて、各々に馬出を設け、「二の丸には敵を絶対入れさせない」という堅固な構えになっています。永禄12年(1569年)10月2日に甲斐の武田信玄が上野から武蔵に侵入して滝山城を攻撃した際に、城下に火をつけて二の丸まで攻め込んだと伝えられています。しかし、氏照が、当時同盟関係であった上杉謙信の重臣に出した手紙によると、城下に兵を出して戦ったとあります。
その後、氏照は甲斐を重視して八王子城の築城に取り掛かり、天正15年(1587年)ころまでに、移って行ったと考えらえます。

滝山城の縄張り拡大図はココをクリック

登城口にある滝山観光駐車場は無料の駐車場です

民家の間を入っていきます

竹林の中の大手道です

右側は三の丸の土塁です

小宮曲輪に上がってみました

山の神曲輪です

山の神曲輪からの眺望です 多摩川が見えます

本丸方面へ向かいます

コの字型土橋跡です

千畳敷西側の堀です

千畳敷の広場です

千畳敷の眼下に弁天池が見えたそうですが・・・

正面が二の丸です

この辺りに櫓門があったと推定されています

広い中の丸です

中の丸からの眺望です

本丸に向かいます

本丸と中の丸との堀切に架けられた引橋です

本丸と中の丸との間にある堀切です

本丸です

本丸にある井戸は遺構として残っています

本丸の最奥部です

滝集落から本丸への侵入路です

本丸に建つ「史跡滝山城跡」の碑

本丸南側の枡形虎口です

引橋を下から見上げます

信濃屋敷跡です

堀切です

唯一の尾根続きの弱点の場所に架けられた木橋です

木橋から大池跡(中央上)を見下ろします

両端が狭い土橋になった行き止まりの曲輪です

大馬出です

二の丸の堀切です

三の丸まで戻ってきました