興国寺城
静 岡 県
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
静岡県沼津市根古屋
根古屋城
連郭式平山城
15世紀後期
不明
北条氏、武田氏、松平氏、中村氏、
天野氏
石垣、土塁、空堀、曲輪、天守台
国の史跡
-
2020年2月25日
興国寺城は、根古屋と青野の境にある篠山という愛鷹山の尾根を利用して築かれています。
この城は、戦国時代に関東一円を支配した北条氏の祖である伊勢新九郎盛時(北条早雲)の旗揚げの城として名高い城です。 北条早雲は初め伊勢新九郎盛時と称し、室町幕府将軍の申次集を務めましたが、駿河の守護今川氏とは、姉北川殿が今川義忠の正室というつながりがありました。
文明8年(1476年)義忠が急死すると、その後の家督争いで甥の今川氏親を助けた功により、長享2年(1488年)頃、富士郡下方12郷を与えられ、興国寺城主となったとされます。
この後、盛時は明応2年(1493年)に伊豆韮山の堀越公方足利茶々丸を襲って伊豆国を攻め、戦国大名としての第一歩を踏み出しますが、その後、興国寺城は戦国大名による領地争い境界の城として争いの渦中におかれ、今川氏、北条氏、武田氏、豊臣氏、徳川氏の勢力下となり、慶長6年(1601年)徳川家康の家臣天野三郎兵衛康景が1万石の城主となります。
しかし、康景は家臣をかばい自ら逐電してしまったため、慶長12年(1607年)興国寺城は廃城となりました。(沼津市ホームページより)
興国寺城の入口にある標柱です
標柱から道路を挟んで反対側にある三ノ丸です
本丸へ向かいます
左側の三ノ丸です
二ノ丸付近です
二ノ丸の土塁です
本丸です
本丸を囲む土塁です
本丸と本丸を囲む土塁です
本丸に建つ穂見神社です
本丸に建てられた北条早雲の碑です
【穂見神社】
安政の大地震が発生して、大津波のため塩害により凶作が続き五穀豊穣を願い、農業神である「高尾山穂見神社」を建立したといわれています。
土塁を登っていきます
正面が天守台です
天守台の石垣が残っています
天守台へ上がっていきます
天守台には礎石が残っています
天守台と下の本丸との段差がわかります
西櫓台からの眺望です 駿河湾が望めます
大空堀へ下ります
下ってきた土塁を見上げます
大空堀です
大空堀を挟んで天守台の対岸にある北曲輪です
立入禁止となっていました 残念!
清水曲輪方面へ向かいます
三ノ丸側から見た清水曲輪(右)です