郡上八幡城

岐 阜 県


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日


岐阜県郡上市八幡町柳町
八幡城、積翠城、郡城、虜城
平山城
1559年(永禄2年)
遠藤盛数
遠藤常友
曲輪、石垣
岐阜県史跡
模擬天守
2022年5月29日

永禄2(1559)年に遠藤盛数が東殿山の東家を滅ぼし八幡城を築いたのがこの城の創始です。
後に豊臣秀吉が天下を統一し、領地二万石を没収させられて賀茂郡小原に転封され、稲葉右京亮貞通が城主となり城郭を修築して天守台等を設けました。やがて関ケ原合戦が起ると遠藤慶隆は家康に味方し、慶長5(1600)年再び遠藤氏が城主となりました。
元禄5(1692)年遠藤氏後継ぎ無く没収され常陸から井上正任が城主となって来封しましたが、間もなく同11年金森頼旹の晩年に騒動宝暦義民の一揆が起り、そのため一家は断絶され、同年円後国宮津の城主青山幸道が代って郡上藩主となり八幡城下4万8千石を領することになりました。その後藩政よく治って、その後明治維新になって廃城となり、昭和8年旧跡に木造の模擬天守が建設されました。

大手門跡 この四辻は昔、侍町四辻といわれ明治維新まで黒塗りの大手門が建っていました

日差しが強い中の舗装道路を登って行きます

二ノ丸に建つ山内一豊と千代の像 千代は初祖:遠藤盛数の娘です

更に舗装路を登ります

近道です 少し足元が悪いようですがこちらを登ります

野面積の石垣が見えてきました

いよいよ入城します

二段の石垣です 積み直しされたようで綺麗に整っています

小さな曲輪に出ました

力石


寛文7(1667)年の大改修の時、剣村(現:大和町剣)の剛腕の大男:作兵衛が普請に駆り出されました。
ある日、2つで約350㎏もの大石を麓の河原から一人で運んでいる作兵衛を見た普請奉行が、その力量を褒めたたえたところ、作兵衛は感激のあまりその場で卒倒して息絶えてしまいました。
哀れんだ奉行はこの石の使用を禁じましたが、昭和8年の城再建の折、放置されていたこの石が見つかり、「力石」として安置され今に至っています。

櫓と四層の天守閣です カッコよいです

本丸へ上がっていきます
天守閣見学と郡上八幡博覧館のセット券を買ったら、サービスで城のクリアファイルをいただきました。

本丸門をくぐり桜ノ丸に入ります。

桜ノ丸隅櫓です

お城の改修時に自ら人柱として身を捧げた「およし」さんを祀る社(悟竹院の奥の院)です

天守に入ります

天守の内部は木造だけに良い感じです

天守から南西方面の眺めです

天守から桜ノ丸を見下ろします

天守から東方面を眺めます

正面に見える赤谷山(東殿山)は東氏の赤谷山城があった山です

天守の裏側へ回ってみます

小さな曲輪がありました

戻って石段を下りてみます

石垣はそれなりの高さがあります

首洗いの井戸跡です

一通り見学したので退城します

舗装路を下ります 自然の岩を切って石垣に利用しています

郡上踊りを体験してから古い町並みを見学します

この町並みを保存しながらの日常生活があります

町のいたるところから天守が望めます

「流響の里」でお昼ご飯をいただきました

「郡上三昧定食」です 鶏ちゃん、飛騨牛しぐれ煮そば、明方ハムの定食です

郡上八幡駅から終点の美濃太田駅まで長良川鉄道に乗車しました

長良川鉄道は派手なラッピングの車両でした