美濃金山城

岐 阜 県


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日


岐阜県可児市兼山字古城
兼山城、烏峰城、烏ヶ峰城
梯郭式山城
1537年(天文6年)
斎藤正義
斎藤正義
移築門、石垣、土塁、堀、井戸跡
国の史跡
なし
2022年5月30日

金山城は、石垣・瓦・建物礎石が残る織豊系城郭のモデルケースとして、国史跡に指定されています。
天文6年(1537)に斎藤道三の命をうけ、守護代一族の系譜をひく斎藤正義により烏峰城の名で築城されました。
永禄8年(1565)には織田信長の家臣森可成(よしなり)が城主となって金山城と改称します。
その後、長可(ながよし)、蘭丸、忠政が城主となりますが、関ヶ原の戦い後の慶長6年(1601)頃に破城となります。
一説には犬山城に移築されたとの伝承(金山越)もあります。
土木工事の技術、破城の痕跡が見られるのもこの城の特徴となっています。

大手道の登山口です

大手道の先で蘭丸広場と出丸との分岐があります

蘭丸広場下に池がありました

蘭丸広場の自然の石垣です

蘭丸広場です

森蘭丸が産湯に使ったと伝えられる井戸です

出丸近くから蘭丸広場を見下ろします

出丸の石垣です

出丸です 駐車場になっています

本丸(山頂)を目指します

右手は二の丸側の土塁です

三の丸門跡です

三の丸に着きました

湧き水が湧出する「水の手」への虎口です

昭和28年(1953)に山の払下げを受けたときの記念碑です

本丸と三の丸との間の石垣です 高いです

二の丸跡です

二の丸南端に位置する物見櫓跡です

二の丸と本丸との間の土塁です

大手桝形です

南腰曲輪です

天守台西南隅石です 算木積になっています

東腰曲輪の石垣です

搦手門礎石です ここから搦手道が下っています

本丸の石垣です

本丸跡に着きました

本丸に建つ金山城の石碑です

山頂からの眺望です

金山城の北側を流れる木曽川は、物流や交通に利用されていたそうです