亀 山 城
三 重 県
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
三重県亀山市若山町
粉蝶城
梯郭式平山城
1265年(文永2年)
関実忠
岡本良勝、本多俊次
多聞櫓、石垣、堀、土塁
三重県指定史跡
模擬塀
2024年5月日
伊勢亀山城は、文永2(1265)年に関実忠が若山の地に築いたと伝えられています。中世の亀山に勢力を誇った関氏の居城で、現在の場所に16世紀中ごろまでには移っていたと考えられます。
天正18(1590)年、岡本宗憲によって天守を築造するなど修築を行い、本多俊次が寛永16(1639)年から3か年を掛けて行った大改修によってほぼ現在の城地が確定しました。東海道の要衝ということもあって、城主はその多くが譜代大名で、延享元(1744)年に石川総慶が入城後は、明治まで石川家が城主を務めました。なお、丹波亀山城(京都府亀岡市)の天守を壊すよう幕府に命じられた出雲松江城主堀尾忠晴が間違えて伊勢亀山城の天守を取り壊したと伝えられ、以後天守は再建されませんでした。
明治6(1873)年の廃城令により城内の建造物はその大部分が取り壊されましたが、現在は本丸東南隅の多聞櫓(県有形文化財建造物)と石垣(県史跡)、外堀、二之丸から西出丸の北側の土居が良好な状態で残っています。また、発掘調査により発見された二之丸北埋門と帯曲輪が復原整備されています。
亀山城の標柱
井戸跡でしょうか?
多聞櫓が見えます
土塀が続きます
高さがある石垣です 天守台と思われます
隅は算木積みになっています
多聞櫓を見上げます
多聞櫓の内部を見学します
市の職員の方に伺うと、土日だけ公開しているそうです ラッキー
櫓内部です
いわゆる本丸です 本丸御殿が建っていたところです
与助井戸跡です 城外への抜穴伝説があります
楠門跡です
西出丸は現在駐車場になっています
隣接して亀山神社があります