七 尾 城

石 川 県
2017年4月の訪問は ココ


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日


石川県七尾市古城町
松尾城、末尾城
連郭式山城
1428年-1429年(正長年間)
畠山満慶
畠山義綱、上杉謙信
石垣、郭、土塁、空堀
国の史跡
なし
2016年5月20日

七尾城は室町幕府三管領の一つ、畠山氏から分かれた能登畠山氏の居城です。
石動山山系の北端に位置し、標高約300mの尾根に長屋敷(長殿丸)・本丸・西の丸・二の丸・三の丸などの曲輪を配置、この尾根から枝分かれする幾筋もの尾根にも大小無数の砦を配置しています。それ故に、七尾という地名は、七つの尾根に由来するといわれています。
築城年代は明らかではありませんが、戦国期に入ってから逐次拡張・増強されたとみられます。永正・天文(1500年代前半)の時代は最も政治的にも安定し、文化が栄えました。

七尾城への登城口です

大永6年(1526)当代一流の歌人冷泉為広・為和父子が七尾城に来訪し、天文13年(1544)の記録では、城山山麓に城下町「千門万戸」が一里余りも連なったと見えます。
天正5年(1577)、越後の上杉謙信の攻略にあって落城、能登畠山氏は滅亡しました。
本丸から三の丸にかけての一帯は、地形を巧みに利用した規模雄大な縄張りと、石垣・土塁・空堀、それらを備えた曲輪の保存状態が良いというので、昭和9年12月28日、国の指定史跡となりました。(七尾市)

七尾城史資料館と懐古館

大手道を登ってくると「沓掛場」に出ます
身なりを整えた場所だそうです
また、右の「とよの水」は、「樋の水」と書き、日照りが続いても枯れることがなかったということです

寺屋敷の大塚(右側の三角)

丁度丸への石段

調度丸から見る5段の石垣

調度丸跡の石塁

5段の石垣

遊佐屋敷跡 本丸の西側に位置する

本丸への登路

本丸跡

本丸から七尾湾を望む

本丸外桝形

崖は傾斜がきつい

九尺石を含む石垣

温井屋敷跡(左)から二の丸へ向かう

二の丸

二の丸から三の丸へ向かう急な階段

二の丸と三の丸の間の空堀

三の丸はとても広い

安寧寺跡


畠山氏の墓碑や七尾城攻防戦で戦死した武士たちの慰霊碑などがあります