丸 亀 城
香 川 県
2013年12月の訪問は
ココ
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
香川県丸亀市一番丁
亀山城、蓬菜城
輪郭式平山城
室町初期
奈良元安
生駒親正、山崎家治
天守、門、長屋、番所、石垣、堀
国の重要文化財、国の史跡
なし
2012年6月2日
丸亀城は、室町時代の初期に、管領・細川頼之の重臣の奈良元安が亀山に砦を築いたのがはじまりです。
豊臣政権の時代に讃岐を領し、高松城を本城としていた生駒親正が支城として築城しました。本城の高松城は、水軍の根拠地とした平城で、陸からの攻撃には弱いうえに、東西に長い讃岐で西側にも拠点を置きたいことから、亀山に築城し1602年にほぼ現在の城郭が完成しました。
しかし、1615年の一国一城令により破却を命じられましたが、当時の藩主・生駒正俊がうまくごまかして存続させました。
大手ニの門(高麗門ともいいます)
1640年にお家騒動で生駒氏が讃岐を除かれると、讃岐は東西に二分され、東の高松城には松平氏が、西の丸亀城には山崎家治が入りました。
大阪城修築などにも加わった山崎氏はその石垣技術で、丸亀城を堅固な石垣に守られた城に築き直しました。
内堀から天守に向け4層に重ねられた石垣は、高さにして約60メートルあり、日本一の高さを誇ります。
この高い石垣の最上部に1660年に完成した3層3階の木造の天守があり、内部を見学することができます。時の流れを感じさせてくれる建築物です。
現在では、城址全体を亀山公園として整備して一般に開放されています。
大手門の枡形 左が大手一の門、右が高麗門
城内からの大手一の門
城下に太鼓で時を知らせたことから太鼓門とも言われています
大手一の門の内部
平成18年から正午を知らせる「時太鼓」が復活しています
うるし林
見返り坂
三の丸への急坂を振り返ります
三の丸
月見櫓跡 讃岐富士が見えます
延寿閣別館 麻布にあった旧藩主京極氏の江戸屋敷の一部を移築したものです
三の丸から二の丸へ
二の丸の隅櫓跡
二の丸井戸 丸亀城の石垣を築いた羽坂重三郎が殺されたといわれる井戸
二の丸の隅櫓跡
三の丸北部
二の丸から本丸へ
天守
二の丸から天守
3層3階の現存木造の天守です。高さ約15メートル、1階北側には、石落や狭間があります。唐破風や千鳥破風で意匠を凝らしています。
この天守は、四国内では最古と言われ、日本一小さな現存木造天守です。
天守内部(最上階)
急な階段
二の丸搦手からの天守
本丸の石垣 高いです
三の丸搦手へ
三の丸搦手門跡
三の丸石垣 城内で最高
石垣の美しい曲線美「扇の勾配」
藩主玄関先御門
番所・長屋
藩主屋敷跡
丸亀市立資料館前からの天守
野面積みの石垣
丸亀城の石垣は、主に築城技術が最も発達した山崎氏の時代に築かれました。城内には打ち込みハギをはじめ、野面積み、切り込みハギなど様々な石積みが見られます。
また、石垣のなかには「△」や「田」などの刻印と呼ばれる記号が見られます。それは石の提供した大名たちの刻印であり、寄贈した証をきちんと残したかったのでしょう。
久しぶりに素晴らしい石垣を見せていただき、満足することができた丸亀城でした。
内堀の外側から
三段の石垣の全景