高 嶺 城

山 口 県
大内氏館は ココ


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者

遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日


山口県山口市上宇野令
福島県会津若松市追手町1-1
鴻の峰城、鴻之峯城とも記す
山城
弘治2年(1556年)
大内義長、毛利元就
大内義長、市川経好、柳沢元政
佐世元嘉
石垣、郭、井戸
国の史跡
2019年4月9日

高嶺城は、大内氏最後の当主大内義長が毛利氏の侵攻に備えて弘治3年(1557年)に築いた城です。同年、義長は形勢が不利となり長門国(下関方面)に逃れましたが、4月、長府の長福寺(現在の功山寺)で自刃しました。
義長が去った後、毛利氏は城の改修をし、市川経好を城番として置きました。永禄12年(1569年)に大内輝弘が山口に攻め入った際に、毛利勢はこの城の守りを固めて寄せ付けなかったといわれています。
元和元年(1615年)、徳川幕府から一国一城令が出されたため、毛利氏は萩指月山城を残し、山口高嶺城、長府串崎城、岩国横山城を破却することとしました。寛永15年(1638年)高嶺城は廃城となりました。
高嶺城跡のある鴻ノ峰は標高338mの丘陵です。城跡は頂上の主郭を中心に、四方に伸びる尾根に曲輪群が広がっています。主郭やその周囲の曲輪には石垣が巡らされ、礎石や瓦片が発見されています。

おとどいやま森林公園駐車場の先を右折して、テレビ・ラジオ放送中継局まで、細い林道を走ります。
すれ違いができない道幅なので、対向車が来ないことを祈りながら登って行きます。

テレビ・ラジオ放送中継局の建物です

ここの道標に従い歩き始めます。

ここは登山道と言っていいような道です

東屋がありました

東屋の前から市街地が望めます

もう少しで主郭です

虎口と思われる道です

主郭の直下に着きました

井戸跡です 何故かポンプが付いています

主郭北側の石垣です

主郭南側の石垣です

主郭に上がりました

主郭からの眺望です 大内氏館跡も望めます

主郭に残る礎石

史跡の案内掲示板があります

史跡大内氏遺跡 高嶺城跡の標柱

西側の崖です

広々とした主郭でした