山 中 城

静 岡 県
2008年12月29日の訪城は ココ


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日


静岡県三島市山中新田字下ノ沢

山城
1558 - 1570年(永禄年間)
北条氏康
北条氏政
曲輪、堀、土塁
国の史跡

2020年3月18日


山中城は、北条氏の本拠地である小田原の西側を守るための支城として、北条氏康によって築城されました。
北条氏政の時代に豊臣秀吉との関係が悪化し、急ぎ山中城の防御を固めるため改修を開始しましたが、1590年小田原の役で未完成のまま豊臣軍7万に攻撃され、山中城将の松田康長ら4千の兵で奮戦したものの半日で落城してしまいました。その後、城は廃止されました。
1930年に国の史跡に指定されて後、三島市によって1973年から学術調査が開始され、史跡公園として整備されました。
箱根十城のひとつです。

山中城跡の入口駐車場です

三島寄りの広い駐車場から北条橋を渡ります

階段を上がって箱根旧街道へ

石畳の箱根旧街道が復元されています

岱崎出丸へ向かいます

前回訪問した時にはここまで入りませんでした

御馬場曲輪です

御馬場曲輪の標柱は昭和の建造です

御馬場曲輪の見張り台から三島市街方面を望みます

御馬場曲輪の畝堀です

山中城出丸の最先端を防備するすり鉢曲輪です

すり鉢曲輪に隣接した武者だまり跡のようです

岱崎出丸は大規模なものです

岱崎出丸の一ノ堀も畝堀です

発掘調査が未了の御馬場北堀跡です

箱根旧街道に戻ってきました

三ノ丸堀の土塁上を歩きます 左が空堀、右が水堀です

三ノ丸空堀です 並行して左側に水堀があります

三ノ丸水堀への水源となっている田尻の池です

西ノ丸へ上っていきます

西ノ丸小口から二ノ丸方面です

広大な西ノ丸です 先端は物見台となっています

西ノ丸の畝堀です

掘立柱建物があったとされる西櫓です

西櫓から綺麗な富士山が望めました

西櫓廻りのの美しい障子堀です

畝堀です

帯曲輪の西木戸です

帯曲輪に建つ史跡の標柱です

西櫓と帯曲輪の間の障子曲輪です

北側の斜面は自然の堀のようです

用水池を兼ねたといわれる本丸堀です

北ノ丸です

北ノ丸を囲む堀は現状よりも2m以上深かったようです

北ノ丸と天守台の間の空堀です

北ノ丸と本丸を結ぶ架橋は破壊しやすいものでした

天守櫓跡は山中城最高所に位置する標高586mです

兵糧庫跡です

兵糧庫跡から本丸を見上げます

本丸跡です 前方の藤棚付近に本丸広間があったようです

本丸と二ノ丸の間の畝堀です

二ノ丸櫓台です

本丸と二ノ丸を結ぶ橋は土橋であたようです

山中城最大の曲輪である二ノ丸です

元西櫓へは架橋で渡ります

無名曲輪と呼ばれていましたが、元西櫓と命名されました

二ノ丸から下城します

門柱です

元々湿地帯であった箱井戸跡です

三ノ丸裏手にある宋閑寺です
山中城守備軍副将の間宮康俊を弔うために創建されました

山中城入口に戻ってきました