石垣山城

神奈川県小田原市
2009年5月23日の訪問は ココ


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日


神奈川県小田原市早川
石垣山一夜城
梯郭式山城
1590年
豊臣秀吉
なし
石垣、曲輪、堀切、井戸
国の史跡

2021年1月26日(再訪)

石垣山城は「笠懸山」あるいは「石垣山」と呼ばれる箱根から派生する山上にあります。
関白豊臣秀吉が天正18年(1590)の小田原合戦の際に築いた陣城で、徳川家康家臣松平家忠が記した「家忠日記(六月二十二日)」に「石かけの御城」と記されていることから「石垣山城」と呼ばれています。秀吉が一夜のうちに城が出現したように見せかけたとの伝承から「石垣山一夜城」とも呼ばれていますが、実際には「聚楽又八大坂城の普請を数年させられ候二不相劣様」と、聚楽第や大坂城に勝るとも劣らない普請工事であったことを秀吉自身が書状にしたためており、秀吉入城までに3ヶ月の築城期間を要した関東唯一の豊臣秀吉の城郭です。今も穴太衆(あのうしゅう)により築かれた野面積みの石垣が本丸や南曲輪などの各所に残り、谷を石塁で塞いで井戸とした井戸曲輪の姿は圧巻です。

旧城道の東登口です この石段を登って二の丸へ向かいます。

二の丸東側石垣 二の丸の東側にも石垣が積まれています。この辺の石垣には比較的小さな石が使われています。

二の丸(馬屋曲輪)跡です。正面の石垣は本丸の石垣です。小田原城から見える面のため、対峙する小田原北条氏を驚かせたのかもしれません。

櫓台跡です。この櫓も小田原側に設けられており、パフォーマンス的要素が強かったように思われます。

井戸曲輪に下っていきます。淀君化粧の井戸とも伝わる井戸です。谷を石塁で塞いで井戸としたものです。素晴らしい石垣です。

北端の位置から入生田駅方面を展望します。明神が岳などの箱根の山々が望めます。

本丸の石垣は、高さ20mを超える高さで築かれており、石垣を築いた穴太衆の技術の高さが伺えます。

本丸(本城曲輪)です。ここには物見台が設置されています。

物見台からの眺望です。写真では判別できませんが、小田原城の天守閣が見えます。

天守台跡です。天守台も石垣が積まれていた痕跡があります。

天守台西側の石垣跡です。木々の生長とともに石積みの様子が分からなくなっています。

天守台の南側に隣接する西曲輪です。二の丸に次いで広い曲輪です

南曲輪です。南曲輪からは相模湾が望めます。

南曲輪の東側の石垣です。石垣山城で残存する最大規模の石垣ではないでしょうか。

南曲輪の南側の石垣です。右側の大きい石は、石垣の角に積まれていた角石です。石垣に重要な角を破壊することは再建を阻止するためのようです。